yippee444’s blog

素敵な人生の一ページとなるために

超一級障害者で良かったこと ちょっと気軽目線

バカなこと考えるこころの余裕も大事ということで

ずーと無職でいても、誰からも働けと言われない
さらにありがたいことに、働かずともお金がもらえる
本当かー
毎日素敵なヘルパーさんと、いろんな会話が楽しめる
これは本当

あるヘルパーさんが、面白いことを言っていた
 ヘルパーさんに体洗ってもらうって、ある意味幸せなんじゃない
 私は旦那の体を洗ってあげたことないよ
そう言われてみれば、そうだよなぁ
幸せな入浴時間、ありがとう

古典の授業で、世捨て人と言われる吉田兼好鴨長明を知った
なんとなく世捨て人の生き方に惹かれた
起きて半畳寝て一畳
この言葉に、ちょっとだけ憧れた
そうしたら、思いもよらない形で実現した
これぞまさに引き寄せ
本当に凄いものを引き寄せてしまった
40年ベッドで、起きて半畳寝て一畳

そのベッドから、皆さんのブログ楽しんでます
知らない世界を知り、行けない世界を行く
ありがとう、感謝です

出雲大社に参拝したらぜひこちらも

ご存知の方も多いと思います
拝殿で参拝したら、本殿を回って、本殿西側の礼拝所でもお参りしてみてください

参拝に本当もうそもないのだが
ここからの参拝が本当の参拝となるので
大国主は西を向いて鎮座しているので
あるいは、させられている
ここからでないと大国主を拝んだことにならないから

では、拝殿からの参拝は、誰を拝むことになるのか
拝殿から拝む先にあるのは、大国主ではなく、素鵞社に祀られているスサノオ
古代出雲を征服した物部を拝んでいることになる
良し悪しではなく、ただ事実を知って欲しいだけ
スサノオが祀られているというのも少し怪しいのだが
あくまでも一個人のたわごとです

せっかく出雲大社にお参りするのなら、本当の主、大国主を拝んでいってください

受け取り上手は幸せの道第一歩

何でもいいのだけど、チョコをあげたとする
なんだ、チョコかって顔して受け取られるのと
おっ、チョコ大好きって顔して受け取られるのと
あげて良かったと思うのはどっち

これって人生にも当てはまるんじゃないかな
持って生まれた才能や能力
自分の外見や容姿
自分が置かれた境遇
自分に起こるいろいろな出来事
不満ばかり言っている人
これで頑張っていこうとする人
もし神様がいたとして
これらが神様からのプレゼントだとして
神様はどっちを応援したくなるかは言うまでもないよね
たとえ嫌なことでも喜んで受け取ってくれたら
神様はすごく嬉しいはず
今度はとびっきり喜びたくなるようなプレゼントをくれるはず
だから、たとえ嫌なことが起こっても、ありがとうなのだと思う
そう信じて幸せの道を歩きたい

言えなかった言葉

顔から火が出るほど恥ずかしい思いでこれを書いた
小説を書くのは、日本橋の真ん中で
裸で大の字になって寝てるようなものだ
そう言った小説家がいた
まさにそんな感じ

今は、ヘルパーさんや訪看さんに支えられて、自宅で生活している
それまでは、両親が全て介護してくれていた
とりわけ母は、全てを捧げて介護してくれた
その大変さは、言葉では絶対に表すことはできない

調子が悪くて、真夜中に何度か起こすことがあった
そんなときでも、母は一度も嫌な顔をすることはなかった
悪いと思う気持ちで一杯だった
そういう自分が悔しかった
そんなとき知ったのが
良いことはもちろん
どうしようもない辛いことにも感謝して生きろ
それからは、母にいつもありがとうを言うようにした
ときには文句を言うことだってあった
そんなときでも、こころではいつも感謝していた

でも、言えなかった言葉がある
面と向かうと、どうしても言えなかった言葉
かあちゃんの子供に生まれて幸せだったよ

母からは、どんな宝石よりも輝く宝物をもらった

よそ行き顔

僕がブログを書き始めたことは、周りにはほとんど言ってなくて
そのことを知っていて、実際に読んでいるのは、ほんの数人
その人たちが言うには
 実際の僕とイメージが全然違うじゃない
 こんな事書くようなキャラだったけ
 そんなロマンチストだった
 なにこのキザな文章
散々なことを言われております

このブログを読んでいる方は
当然、実際の僕を知らないわけです
どうやら実際のキャラとは違うようです
普段、人にどう生きるかなんて話しはしないものね
でも、ここではそれが自由にできる
今まであった色々な思いを言葉にすることができた
ありがたいことに、それを見てくれる人がいる
ブログを始めて良かった
ありがとう、感謝

アリとキリギリス 誰もが死ぬ存在

日本では、冬に備えてコツコツ働いたアリが助かる話で終わる
将来に備えてコツコツ働いていたからアリは助かった
だから日頃の努力が大事だと
このことが強調される

でも、どうも続きがあるらしい
いくつかあるみたいなのだが、僕が知っているのは次のような話
嵐が過ぎ去ってほっとしたのもつかの間、物凄い大寒波がやって来る
アリも死んでしまう
先のことは考えず、自分の好きなことをして毎日楽しく暮らすキリギリスも
今を犠牲にすることになっても、明日のために頑張るアリも
結局は死んでしまう

どっちの生き方が良いとか悪いとかではなく、人は死む存在だということ
このことをしっかりと意識して今の自分を見つめれは、どう生きるかが見えてくるはず
どういう人生を選び、どう歩む
自分はどう生きたい
そういうことが問われているんじゃないかな

とはいえ
難しく考えず力を抜いて、面白いと思うことを楽しくシンプルに、今を生きよう
どうせ人は死ぬ存在なのだから

これからもこれでいく

動けぬ体となって思う
動けぬ体で生きるとは
いきなりこんなことを書いては見たものの
凄いことが書けるわけではないので悪しからず

体が動けず不自由でも、こころ自由に生きてみろ
そう言われている気がする
それを試されている、と言っても良いのかもしれない
こころ自由に生きる
言葉だけはカッコ好いけど、現実で直面する出来事は、こころ自由にさせてくれない
それなら必死に頑張るしかない
そう言いたいとこだが
頑張ってはいけない
頑張るは、もがくこと
自由とは真逆になってしまう
こころ自由にと願うことも
裏を返せば、今自由ではないということ
では、どうすれば良いのか

ただただこう思って生きる
今こころは自由
今幸せ
ようやくここまで来た

超えて行こう

ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
般若心経の最後の一文
ネットを見れば様々な訳や捉え方があるなかで
スッと、こころに入って来たのが次の言葉

行こう行こう超えて行こう さらに超えて行こう涅槃へ
現世で悟り あの世でも悟り さらに行こう その先にある光の世界へ

20年近く前のことで、どこでこれを見たのかは覚えていないのだが
行こう行こう超えて行こう さらに超えて行こう
この部分が凄く印象的で、今でも良く覚えている

そこで
行こう行こう超えて行こう さらに超えて行こう 無限の豊かさへ
行こう行こう超えて行こう さらに超えて行こう 無限の可能性へ
行こう行こう超えて行こう さらに超えて行こう まだ見ぬ未来へ
行こう行こう超えて行こう さらに超えて行こう まだ知らぬ世界へ
行こう行こう超えて行こう さらに超えて行こう まだ見ぬ自分に会いに

努力や才能は要らない
こころに灯がある限り、行ける、その先へと

まずは受け入れてみる

自分の性格を無理して変えようとしなくて良い
変えようとして変われなくても、自分はダメだと思う必要はない
自分をダメだという思いは、自分を嫌いになるだけ
自己肯定感を下げるだけ
それじゃあ自分が可哀そう

嫌だ嫌だの気持ちが強いままのうちは、変えようと思っても上手くいかない
もがけばもがくほど、さらに悪くなる
苦しく辛くても、ちょっとそんな自分を受け入れてみる
意外とこころの中で、何かが少し変わるかもしれない
そうなったら、自分を変えていけば良い
今度は変わるから
ありのままの自分を丸ごと受け入れることが
自分を変える第一歩

でもね、本当は自分を変える必要はない
自分が嫌だダメだと思っているそれは、自分だけの宝物かもしれないのだから

とらわれないこころ、そうはいっても

まさか、このタイミングで起きないよな、と思うことが起こる
何でこんなことが起きるんだろう、そんなことばかり
逆引き寄せは凄く上手い

特にお金のことでは、本当に困った
大いなる存在、宇宙、神といったことには、少々懐疑的なのだが
そんな状況ばかりだと
さすがに、そういう存在に文句の一つも言いたくなる
だから引き寄せれないんだ、と言われそうだが

そんな事ばかり起こって
こころがおかしくなったか
絶望的状況や、真っ暗な気持ちも生きてる証
生きるとは色んな気持ちを経験すること
どん底気分もしっかりと味わう
ちょっとだけそう思うようになった
本当にちょっとだけ

だからといって
憂うつになるような出来事は
今後一切お断りいたします
望むは楽々スイスイ、毎日ルンルン人生

出雲の皆さん、スサノオは出雲の神じゃない

スサノオという神がいたわけではない
スサノオはあくまでも徐福=饒速日や物部の子孫の象徴である
出雲王国から見ると征服者である
決して出雲の祖神ではない
クシナダヒメと結婚したのはスサノオではなく初代大穴持の菅之八耳
スサノオがスガスガしいと言ったスガのことか

2000年も経って、こんなこと書くのはどうかと思う
それを承知で書いてみる
ただし、全て出雲口伝から得た浅い知識しか持たない
末端の末端の一個人の戯言である
記紀で語られている古代の歴史ではなく
本当の事実が知りたくて、調べていくうちに
出雲口伝にたどり着いた
何故か、物部側ではなく出雲側に惹かれるのである

古代出雲の人たちが信仰してたのは、幸ノ神三神
大山に宿るクナト大神
三瓶山=佐比売山に宿る幸姫
鼻高山に宿る猿田彦
宰姫は佐比売山から昇る朝日と同一視された
幸姫は、三輪山にも祀られ、幸姫=三輪山から昇る朝日=太陽の女神
垂仁天皇=物部イクメの娘大和姫によって、幸姫は三輪山から伊勢神宮に移され、天照大神とされた
天照大神の荒魂が瀬織津姫=龍と繋がる
出雲は、太陽信仰 蛇信仰=龍信仰 磐座信仰なのだから

出雲の人たちには幸ノ神三神、大国主、事代主を大事にして欲しい
本当の祖神なのだから

投げかけよう

投げかけたものが返ってくる
嫌えば嫌われる、愛すれば愛される
不平不満には不平不満をまた言いたくなることが
ありがとうにはありがとうとまた言いたくなることが
返ってくる
小林正観さんの言葉

そこで
投げかけよう、笑顔
投げかけよう、温かい言葉
投げかけよう、小さな喜び
投げかけよう、感謝の気持ち
投げかけよう、ありがとうの思い
投げかけよう、気持ちの良い挨拶
投げかけよう、さりげない気遣い
投げかけよう、美味しかったの一言
投げかけよう、頑張ってるね、労いの言葉
投げかけよう、あなたが素敵という気持ち
投げかけよう、好きという気持ち キモくなく
投げかけよう、やったねすごいじゃん、相手への素直な喜び
これで、好いことが次々と返って来るぞ

444

やぎ座のラッキー数 8
五黄土星 5
カバラ数 9
名前にある 2
自分に関するラッキー数が、何だかバラバラでどれが良いのか迷っていた

ずいぶん前のこと
自分のラッキー数を聞いたことがある
潜在顧客というか、自分のこころに
あまり期待はしていなかった
だが不思議なことに、その後の数日間、やたら444を目にした
そうか、これが自分のラッキー数か
答えをくれたんだ、と気づいた
以後、IDとかニックネームには、444を使うようになった

ネットで調べてみた
 物事が好転し、障害が取り除かれているこをと示す
 経済的、精神的に豊かな未来が訪れることの前兆
 多くの天使が集まり、見守ってくれているサイン
確かに、大きな力か何かは知らないが、見守られている感はある
お金、いつも困ってますけど
ずーと運気停滞してますけど

444は4が合わさった数と取れば、まさに4合わせ、幸せ
これからも大事にしていく

ポジティブって

明日運動会だとして、何だか天気が怪しい
雨が降らなきゃいいけど
大抵はそう思う
でも本当に望んでいるのは
晴れると良いな、運動会が出来ると良いな
がんにならないように、病気にならないように
そう口にする人は多い
でも本当は
元気でいたい、健康でいたい
歳をとりたくない、ではなくて
若くいよう

そうなって欲しくないことに、意識をフォーカスするのではなく
そうなって欲しいことにフォーカスする
ポジティブに考えるって、こういうことだと思う
落ち込んでいるとき、どん底にいるとき
無理にポジティブに切り変えるのがポジティブではないと思う
それに、心配から来る願いは実現しないし

このyippee444ブログを覗いてくださった方へ

本当にありがとうございます
このブログを始めようと思ったのは
ずーとこころにあったいろいろな思いを
何かの形で残しておきたい
そう思うようになったからです
なかでも一番言葉にしておきたかったのは、一瞬のゼロです
お分かりのように、海での事故を書いたものです
これは誰にも言ったことのないそのときの様子を
初めて言葉にしました
読まれた方は、いきなりで戸惑われたことと思います
それに、優しい方ばかりみたいで
いいねしてはいけない、と思われたのではないでしょうか
事故そのものへではなく
言葉にできたことに対して
もしよろしければ
この一瞬のゼロにも、いいねしてくださるとうれしいです