yippee444’s blog

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天照、スサノオ、月読 出雲口伝より

出雲口伝を参考に、あくまでも末端の素人が簡単にまとめたものです
専門家ではないので悪しからず

天照大神は、古代出雲の人々が信仰する太陽神=幸姫のこと
 古代出雲の人々は、佐比売(さひめ)山=三瓶山から昇る朝日を拝んでいた
 佐比売山は、幸姫の宿る神名備山だった

 事代主の死後、息子の奇日方は
 ヤマトに新王国をつくろうと葛城、さらに三輪山磯城に移った
 三輪山に幸姫を祀り、三輪山から昇る朝日を信仰の対象とした
 ヤマトで争いが起き、三輪山から、伊勢内宮へと移された

 記紀では、皇祖神としての神格を与えるために、天照大神と名前を変えた

月読は、豊国の菟狭族である宇佐八幡宮の宇佐家が信仰する月神のこと
 豊国の宇佐家は、3世紀に物部王国と手を組んで大和へ東征した
 出雲や吉備の王国を滅ぼし、ヤマト王国までも滅ぼした
 この時に三輪山の神は、出雲の太陽神から豊国の月神に入れ替わった
 これが天岩戸隠れのことか 勝手な推測
 その後、豊王国は物部に負け、三輪山月神も大和から伊勢外宮へ移された

 真名井神社は、もともと穀物の神、宇賀魂が祀られていた
 海部家は、豊国の月神と合わせ豊受大神とし、伊勢外宮に祀った

スサノオは、徐福や徐福の子孫のこと
 前3世紀、徐福は、彦火明と名乗り、出雲王家と婚姻で繋がった
 だが、8代目の出雲の王と副王を殺し、秦国へ逃げ帰った
 徐福の子、五十猛=香語山は、丹波に移住し海部氏となった

 再び、徐福は饒速日と名乗り、九州有明に上陸し、その子孫が物部氏となった
 記紀ではスサノオとして描かれた
 海部氏と物部氏は、徐福を先祖とする異母兄弟の子孫

日本の歴史は、出雲族、海部族、物部族、菟狭族
特に出雲族と物部族の争いの歴史
末端の素人が言い切って大丈夫か