出雲口伝を参考に、あくまでも末端の素人が簡単にまとめたものです
専門家ではないので悪しからず
天照大神は、古代出雲の人々が信仰する太陽神=幸姫のこと
古代出雲の人々は、佐比売(さひめ)山=三瓶山から昇る朝日を拝んでいた
佐比売山は、幸姫の宿る神名備山だった
事代主の死後、息子の奇日方は
ヤマトに新王国をつくろうと葛城、さらに三輪山の磯城に移った
三輪山に幸姫を祀り、三輪山から昇る朝日を信仰の対象とした
ヤマトで争いが起き、三輪山から、伊勢内宮へと移された
記紀では、皇祖神としての神格を与えるために、天照大神と名前を変えた
月読は、豊国の菟狭族である宇佐八幡宮の宇佐家が信仰する月神のこと
豊国の宇佐家は、3世紀に物部王国と手を組んで大和へ東征した
出雲や吉備の王国を滅ぼし、ヤマト王国までも滅ぼした
この時に三輪山の神は、出雲の太陽神から豊国の月神に入れ替わった
これが天岩戸隠れのことか 勝手な推測
その後、豊王国は物部に負け、三輪山の月神も大和から伊勢外宮へ移された
真名井神社は、もともと穀物の神、宇賀魂が祀られていた
海部家は、豊国の月神と合わせ豊受大神とし、伊勢外宮に祀った
スサノオは、徐福や徐福の子孫のこと
前3世紀、徐福は、彦火明と名乗り、出雲王家と婚姻で繋がった
だが、8代目の出雲の王と副王を殺し、秦国へ逃げ帰った
徐福の子、五十猛=香語山は、丹波に移住し海部氏となった
再び、徐福は饒速日と名乗り、九州有明に上陸し、その子孫が物部氏となった
記紀ではスサノオとして描かれた
海部氏と物部氏は、徐福を先祖とする異母兄弟の子孫